西寛二郎
From Wikipedia, the free encyclopedia
薩摩国鹿児島郡荒田村(現:鹿児島県鹿児島市上荒田町)で[1]、薩摩藩士、西太郎兵衛の長男として生まれ、幼少の頃から島津久光の下に仕えた。戊辰戦争等転戦し明治4年(1871年)7月、陸軍に入る。初任は陸軍中尉で御親兵2番大隊付を命ぜられた。同年12月、陸軍大尉に進み1873年(明治6年)12月、陸軍少佐に任ぜられる。1874年(明治7年)の佐賀の乱には征討参謀として出征、続く台湾出兵にも従軍し1877年(明治10年)の西南戦争では別働第1旅団参謀として参戦するが、この時負傷する。
その後、近衛幕僚参謀・参謀本部管東局員を経て1881年(明治14年)2月、歩兵第11連隊長に就任し、翌年、陸軍大佐に進む。大佐として名古屋鎮台参謀長、東京鎮台参謀長、参謀本部第1局長等を経験し1889年(明治22年)8月、陸軍少将に任ぜられ歩兵第11旅団長に補される。翌年6月に歩兵第2旅団長に移り、この時日清戦争に出征する。この戦役では山地元治中将指揮の下金州・旅順・田庄台を攻略し、その功をもって1895年(明治28年)8月、男爵を授けられ華族に列せられる。
1896年(明治29年)5月に威海衛占領軍司令官となり、同10月、陸軍中将に進み、乃木希典の後任として第2師団長に就任する。1904年(明治37年)2月の日露戦争に出征し功を挙げ同年6月に陸軍大将に進級する。同年9月の遼東守備軍司令官を経て1905年(明治38年)5月9日、陸軍三長官の一角教育総監に就任する[2]。翌年4月には功一級金鵄勲章を受章し、1907年(明治40年)2月からの伏見宮貞愛親王の渡欧に当たっては随行を仰せ付けられる[3]。伏見宮は英国を6月に離れ、ドイツ経由で帰国したが、西大将は5月から別行動を取り、明治38年8月12日調印の第2回日英同盟協約第7条に基づく日英軍事協商の交渉を、柴五郎・松石安治両大佐を補佐に、日本帝国軍を代表して行ない[4]、そのあと、同年6月9日付けでくわしい顛末報告を寺内正毅陸軍大臣に送った[5]。その後、英国での交渉チームと共にフランスを訪れた後、続けて6月10日から27日まで、オーストリア・ハンガリー帝国(墺洪国)首都のウィーンを(日露戦争関係で協力してくれたことに対し感謝するため)極秘に公式訪問した。墺洪国の皇室などから大歓待を受け、軍事施設・軍人学校などを視察し、皇帝から一行は皇帝自ら用意した勲章を戴いた。27日には皇帝が離宮での食事に一行を招待している[6]。その後、ドイツ帝国プロイセン王国の軍人学校も訪問した[7]。帰国後の9月、子爵に陞爵。
1908年(明治41年)の軍事参議官の後1911年(明治44年)3月後備役となる。1912年(明治45年)2月28日薨去。没後に勲一等旭日桐花大綬章を贈られる。
軍歴
栄典
- 位階
- 1874年(明治7年)2月18日 - 従六位[9]
- 1889年(明治22年)9月27日 - 従四位[10]
- 1894年(明治27年)10月26日 - 正四位[11]
- 1899年(明治32年)11月30日 - 従三位[12]
- 1904年(明治37年)6月16日 - 正三位[13]
- 1909年(明治42年)7月10日 - 従二位[14]
- 1912年(明治45年)2月28日 - 正二位[15]
- 爵位
- 勲章等
| 受章年 | 略綬 | 勲章名 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1885年(明治18年)4月7日 | 勲三等旭日中綬章[18] | ||
| 1889年(明治22年)11月25日 | 大日本帝国憲法発布記念章[19] | ||
| 1895年(明治28年)5月23日 | 勲二等瑞宝章[20] | ||
| 1895年(明治28年)8月20日 | 功三級金鵄勲章[16] | ||
| 1895年(明治28年)8月20日 | 旭日重光章[16] | ||
| 1895年(明治28年)11月18日 | 明治二十七八年従軍記章[21] | ||
| 1903年(明治36年)5月16日 | 勲一等瑞宝章[22] | ||
| 1906年(明治39年)4月1日 | 功一級金鵄勲章[23] | ||
| 1906年(明治39年)4月1日 | 旭日大綬章[23] | ||
| 1906年(明治39年)4月1日 | 明治三十七八年従軍記章[23] | ||
| 1912年(明治45年)2月28日 | 旭日桐花大綬章[15] |
- 外国勲章佩用允許
| 受章年 | 国籍 | 略綬 | 勲章名 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1907年(明治40年)12月5日 | ヴィクトリアン勲章グランドクロッス[24] | |||
| 1907年(明治40年)12月5日 | レジオンドヌール勲章グランオフイシエー[24] | |||
| 1907年(明治40年)12月5日 | レオポール勳章グランクロワー[24] | |||
| 1909年(明治42年)11月25日 | 頭等第三双竜宝星[25] |