西川虎之助
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広島藩士西川理三郎の長男として安芸国(現・広島県)に生まれ、1871年(明治4年)に広島県の留学生としてイギリスに渡り、応用化学を学ぶ[8]。1874年(明治7年)、滞在先の下宿屋の娘で4歳年上のKatie Henrietta Winterとロンドン近郊で結婚し、その翌月に長女・お清、翌年に次女・朝子をもうけ、妻子を連れ1879年(明治12年)に帰国[9]。
大蔵省印刷局舎密課の技師となり、さまざまな製造法を開発し、印刷局に大いに貢献した[8]。明治政府による殖産事業の民間移譲の方針に基づいて印刷局を去り、1889年(明治22年)に、渋沢栄一、大倉喜八郎、浅野総一郎ら時の財界人を株主として東京青山で青山製氷所を創設して日本初の製氷事業を立ち上げた。のちの“製氷王”こと和合英太郎も入社した。しかし経営は芳しくなく1892年(明治25年)に廃業した[10]。
同1892年には大阪府西成郡川北村の大阪硫曹株式会社の技師長兼工務支配人となる[8]。1901年(明治34年)には工学博士の学位を授けられる[6]。その後大阪アルカリや大日本人造肥料などに勤務し、技師長・重役を歴任した[3]。