西広整輝
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父は内務官僚で官選宮崎県知事(1943年(昭和18年)7月1日~1944年(昭和19年)8月1日)や朝鮮総督府警務局長を歴任した西広忠雄。都城中学、新制大手前高校を経て、1956年東京大学文学部国史学科卒業。同年、防衛庁入庁。(プロパー組2期生)。
「ミスター防衛庁」と呼称され、生え抜き組(プロパー組)初の事務次官就任者。退官後も防衛庁生え抜き組の東大出身者のみを構成員とした「西広学校」が知られている。大蔵・警察・通産・厚生など各省庁出向者らが枢要ポストを握っていた防衛庁内で、生え抜き組の人材育成に務めた。1976年防衛課長として「防衛計画の大綱」の原案を作成。基盤的防衛力構想の命名者でもある。
長官官房防衛審議官、防衛庁参事官、長官官房長を経て1988年に防衛事務次官に就任。退官後は第一勧業銀行顧問などを務め、1994年には首相の諮問機関、防衛問題懇談会の委員に就任するなど、日本の防衛政策に影響力を持っていた。
1995年12月4日、心室頻拍のため、東京都中野区の病院で死去した。65歳没[1]。