西条ロック
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学生時代・漫談家デビュー
京都府立朱雀高等学校在学中、京都市内の歌謡喫茶「ひばり」に所属するグループ「シャネル・カンカンズ」のリーダーを務めた。同店でボーヤとして楽器運びをしていた人物が、後にラジオ大阪『オーサカ・オールナイト』で共演する横山プリンである。同時期、素人参加型のラジオ演芸番組に数多く出演し賞金を得る、いわゆる「素人番組荒らし」として早くから注目される存在となっていた。昭和34年(1959年)、京都花月で漫談家としてデビューした。
千日劇場と寿司屋時代
20歳の時、大阪・千日劇場の専属バンドでボーカルを担当(芸名は西条浩司)するも、約1年で退団。その後、寿司屋の板前に転身した。この時、貞子夫人と出会い、昭和39年(1964年)1月に挙式した(1973年のインタビュー時点では入籍はしていないとされる)。
フォアダッシュ時代
昭和41年(1966年)、25歳の時に音楽ショー「サン・サーンズ」(後のフォアダッシュ)に加入し、芸名を西条ロックとする。同年暮れから、在阪局で初の終夜放送として開始されたラジオ大阪の番組『オーサカ・オールナイト 夜明けまでご一緒に』に出演した。
上京・大道芸人時代
『オーサカ・オールナイト』降板後に上京し、芸名をどんぐりケンに改名。大道芸人としてポルノ紙芝居の活動を行い、東京での活動期間は約3~4年に及んだ。
大阪復帰・カラオケ喫茶
レコード 『三つで五百円』 のリリースをきっかけに大阪へ戻る。その後、MBSラジオ『毎日放送ラジオ大通り』 内のコーナー「ロックのただいま参上」 に出演した(出演時期は不明。番組自体の放送期間は1975年4月7日~1979年10月5日)。
1983年頃、ラジオのレギュラー出演がなくなったことを機に大阪府貝塚市へ移住し、カラオケ喫茶「西条ロックの店」 [1]を経営した。1990年代には、地元イベントへの参加など、地域の活性化(町おこし)にも関わっていたとされる。
出演
ディスコグラフィ
特記事項
- 「三つで五百円」は、コンピレーション企画 『幻の名盤解放同盟』 においても取り上げられた。