西林仁昭
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1968年、大阪府に生まれる[1]。小学校時代は日本史に関心を持ち、武将がおこなったことが歴史の中でどのような意味を持つのか、といったことに興味を惹かれた。小学校から高校にかけては野球に打ち込む。中学生の頃に、福井謙一が日本初のノーベル化学賞を受賞したことから、研究者という職業を意識するようになる。大阪府立四條畷高等学校に進学。大学の受験勉強は高校野球の引退後より本格的に取り組み、1986年3月に同高校を卒業。翌年4月に、福井が講師を務めた京都帝国大学工学部燃料化学科の後身の京都大学工学部石油化学科に入学[2]。京大では有機化学を専攻し、博士号を取得。その後研究の道に進みたいと恩師の植村榮に相談したところ、東京大学名誉教授の干鯛眞信を紹介された。窒素固定の分野で先進的な研究を行う干鯛のもとで、この分野の研究の道に進んだ[3]。
研究
1913年に工業的に実用化されたハーバー・ボッシュ法は高温・高圧の条件を要するため、大量のエネルギーを消費する欠点があった。西林は、一部の根粒菌がアンモニアを生成する酵素のニトロゲナーゼに着目。硫黄で架橋された鉄とモリブデンからなる多核錯体が活性部位であることはすでに明らかになっており、その反応機構の研究を行う[4]。
この分野ではマサチューセッツ工科大学のリチャード・シュロックが先行しており、2003年に報告した分子触媒を用いた世界初のアンモニア合成では触媒活性は8当量であった。西林研究室が2011年に報告した世界で2例目の触媒は、これを上回る12当量であった。化学修飾による触媒活性の向上を目指し、2017年には230当量の活性を持つPCPの開発に成功した[5]。分子触媒の開発と並行して、酸化剤及び還元剤の検討も行った。ケトンに還元剤としてヨウ化サマリウム(SmI2)を反応させるとアルコールが生じることは古くから知られており、窒素の三重結合の還元にも応用できるのではないか、との予測から、SmI2を還元剤に使用した[6]。これにより、世界で初めて常温・常圧の条件下において窒素と水からアンモニアの合成に成功[7]。2019年4月24日に『ネイチャー(オンライン速報版)』に掲載された[8]。
さらに、ボールミルを用いたメカノケミカル反応を応用することにより、有機溶媒を用いずに高い収率でアンモニアを得られるとともに、反応剤としてセルロースの利用が可能になった[9]。この成果は、2024年10月9日付『Nature Synthesis(オンライン速報版)』に掲載された[10]。