初代〜7代は毛利家[1]。寺院合併により第8代目から山名姓となる。
- 毛利元弘四男就勝の子である祐良が、父就勝自害により、元綱元就の嫌悪を危惧し出家し金丸村(現:新市町金丸)に、西福寺の前身寺である大江山実相寺を建立する。1571年没。
- 1558年没。
- 祐実の弟。兄の早世により法燈継承。1571年没。
- 1605年没。
- 1594年没。
- 祐元の弟。1617年没。
- 1641年没。
- 幼名は太郎丸。山名持豊の末裔である但馬守の孫であり、宮内卿の子。関ヶ原の合戦で毛利輝元に随従して敗北した後、備後国御調郡大多城に没落する。後、剃髪して一寺を建立し、功円山報徳院西福寺と称す。1626年、芦品郡木之山村角芽谷権現(現:府中市木野山町角目)へ引越す。1635年、祐念は実相寺第7代目祐清の養子となる。祐清死後、1648年に実相寺、西福寺の両寺協議により、寺号を西福寺とし、苗字は山名氏、家紋等は毛利氏に準ずることとした。これにより、当山は西福寺を吸収合併し、西福寺と改称した。1672年没。
- 祐念の長男。1718年没。
- 祐正の長男。1705年より本堂再建に着手、1707年完成。
- 祐雪の長男。1732年没。
- 祐閑の長男。1744年没。
- 祐光の次男。1772年没。
- 祐会の長男。1772年、18歳で没。
- 祐会の次男。祐泰の弟。1808年没。
- 1837年没。
- 雲晴の長男。祐甫の義弟。1879年没。
- 裕海の弟。1852年没。
- 生没年不明。1875年生存記録あり。
- 祐海の長男。1924年没。
- 祐海の次男。祐諦の弟。雅号は古松園主。1932年没。
- 祐心の長男。1886年生まれ。1958年没。
- 祐心の次男。哲昭の弟。1892年生まれ。1960年没。
- 専教寺より入寺。坊守は哲晋の長女。1958年から2003年まで45年間住職。2004年没。
- 浩明の長男。2003年より住職(現職)。坊守は寂静寺13代住職の長女。