群馬県立沼田高等学校から東京学芸大学を卒業。大学卒業前にふと立ち寄った本屋で見つけた塚原雄太の『夜間中学生』に感銘を受け、夜間中学の教員になる決意をする[1]。
地方公務員の教員となり、1961年から42年間、都内の公立中学校夜間部に国語担当教師として勤務[2]。1993年には、見城らをモデルにした『学校』が公開される。1999年には長年の実績が評価され吉川英治文化賞を受賞[3]。2003年の定年退職後もなお、夜間中学生を中心にした学びの場「えんぴつの会」を運営している[3]。児童言語研究会・国字問題研究会(漢字指導法研究会)などに所属。