見津車庫
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歴史
1970年代から1980年代にかけての粟生線沿線の宅地開発が急速に進行したことにより、更なる輸送力増強が求められていた。しかしながら、鈴蘭台車両基地の留置能力が限界となっており、二つ目の車庫の建設が急がれている状況であった。
そのため、第二車庫を建設するための用地が調査されることとなり、最終的に第二車庫を建設する場所は、粟生線木津駅の近くにある見津信号場に隣接する土地に決定された。工事は4分割で行われることとなり、1982年(昭和57年)1月18日より第一期工事に着手し、第二期工事も第一期工事中に並行して着手していた[1]。
- 第一期工事
- 留置線3線(車両収容能力18両)
- 新設に必要な線路勾配の変更
- 本線に出し入れするための線路の新設
- 見津橋梁の新設・改築
- 第二期工事
- 留置線3線(車両収容能力19両)
- 明石川の付け替え工事
- 車庫敷地の造成工事
- 車輪添削装置の設置
- 従来は台車から車輪を取り外して車輪を添削していたが、この装置設置により、台車から車輪を外さなくても車輪添削が可能になった。そのため、車庫での滞在期間が大幅に短縮されたという。
- 第三期工事及び第四期工事
車両工場の建設や留置線を更に建設していく予定であったものの、粟生線が赤字に転落したことにより中止。車両工場は鈴蘭台車両基地のみとなっている。

