眼鏡橋の作りで、眼鏡橋が通称にもなっている[4]。上山市の楢下宿に存在し、1882年に竣工。大門石という凝灰岩が使われた石橋である[1]。
覗橋の上流には新橋という橋が存在し、こちらも覗橋と同じく石造のアーチ橋の作りである。新橋は1880年8月に竣工。当時の山形県令・三島通庸が架橋に関わり、三島の発案で西洋の土木技術が取り入れられた。当時の金山川は洪水が多く、何度も木製の橋が流されたため、三島は石造の橋を建設するように命じた[2]。工事費用は当時の額で1000円掛かったが県の補助金は300円で、残りの700円は住民達が借り入れし、通行料で賄ったという[2]。
新橋完成の2年後には覗橋も石造で架け替えられた。三島はこの時山形県令の職を解かれて福島県令となっていたが、こちらも新橋と同じく西洋の土木技術が取り入れられており、三島が関係したのではないかと推測される[1]。覗橋の架橋の費用は、全額が地元の負担だった[1]。