親富祖弘也
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宜野湾高から、1990年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから4位指名を受け入団[1](背番号は61)。高校時代は無名選手であったが[1]、100mを11秒で駆け抜ける俊足を持つ左打ちの捕手との触れ込みで入団した[1]。
一軍出場のないまま、1996年限りで現役を引退[1] 。守備だけなら一軍レベルと評されるも、二軍打率.213という打撃に課題があり伊東勤の第2捕手となることはできなかった[1]。引退当時は24歳とまだ若かったが、任意引退の手続きを取った理由としては、自身によれば第2の人生を考えていたためであったと言う[2]。
引退後は沖縄に戻り、浦添市公共施設管理公社に勤務する。その際、社会人野球のクラブチームである儀間組の立ち上げに携わり[1]、自身も内野手として所属した[3]。