解部 From Wikipedia, the free encyclopedia 解部(ときべ)とは、日本における訴訟を職務とした機関、またはその職員のことで、古代日本の部民制において訴訟を職務とした部のひとつ[1][2]。明治時代の刑部省にも設置された[2]。 持統朝に100人設置された。令制では刑部省解部60人、治部省解部に10人配属された[2]。 刑罰、警察、軍事、呪術、氏姓などの職務を担当し、盟神探湯の執行者ともなった物部氏の配下にあった[3]。 刑部省解部は808年(大同3年)に廃止された[2]。 近代 明治時代の刑部省にも三等の解部が置かれた[2]。 脚注 ↑ 前之園亮一(2000),p39 1 2 3 4 5 kotobank,世界大百科事典第2版 ↑ 前之園亮一「宋書南斉書・名代・猪膏から見た氏姓成立と盟神探湯」学習院史学 38, 23-41, 2000年3月,p39 参考文献 前之園亮一「宋書南斉書・名代・猪膏から見た氏姓成立と盟神探湯」学習院史学 38, 23-41, 2000年3月 関連項目 部民制 刑部省 治部省 物部氏 Related Articles