許慈 From Wikipedia, the free encyclopedia 許 慈(きょ じ、生没年不詳)は、中国後漢末期から三国時代の政治家。字は仁篤。荊州南陽郡の出身。子は許勛。 出生 生年不詳荊州南陽郡死去 没年不詳拼音 Xǔ Cí字 仁篤概要 許慈, 蜀漢 大長秋 ...許慈蜀漢大長秋出生 生年不詳荊州南陽郡死去 没年不詳拼音 Xǔ Cí字 仁篤主君 劉備→劉禅テンプレートを表示閉じる 事績 劉熙に師事し、鄭玄の学問をよくした。『易』・『尚書』・『三礼』・『毛詩』・『論語』を学んだ。 建安年間、許靖らとともに交州から益州に入った。 劉備の益州平定後、胡潜とともに学士に任命され、孟光・来敏らとともに宮中儀礼の制定に当たった。 許慈と胡潜は大変仲が悪く、劉備にたしなめられるほどであった。 劉禅の時代に大長秋まで至った。 子の許勛は父の学問を受け継ぎ、博士となった。 参考文献 「正史 三国志 5 蜀書」(陳寿 著、裴松之 注、井波律子 訳) ちくま学芸文庫 ISBN 4-480-08045-7 Related Articles