試製機動五十七粍砲
From Wikipedia, the free encyclopedia
開発
試製機動五十七粍砲は一式機動四十七粍砲の拡大版ともいえるもので、試作に際して駐退機など一部の部品は一式のものが流用された。当初の計画では1941年10月より研究開発に着手、1942年(昭和17年)10月には試作砲の実用試験を完了させる予定であった。しかし太平洋戦争(大東亜戦争)開戦により開発は遅延してしまう。1942年7月に試作砲が完成し試験が開始され、1943年(昭和18年)2月には富士の瀧ヶ原演習場にて射撃試験が実施された。射撃試験の結果は概ね開発条件を満たし良好であった(この時期の資料には「試製二式五十七粍砲」の名称の記載もあるという[1])。
本砲のために試製された弾種は、試製一式徹甲弾、試製二式榴弾、試製二式目標指示弾、タ弾などがある。
しかしながら遅延した本砲開発の間に、急速に発展した重装甲の新型戦車が連合国に次々に出現した事や、それらに対抗するには、重量の割には威力が低い(射距離1000mにて装甲60mm貫通。また資料によっては五十七粍長加農として射距離500mにて装甲75mm貫通、射距離1000mにて装甲65mm貫通との数値もある[2][注釈 1]。 )とされたことなど、57mm級対戦車砲を上回る新型対戦車砲の要望が強まったことから、1943年6月30日に軍需審議会幹事会において開発は正式に中止され、本砲は採用されることは無かった。
代わりとして、将来想定される連合国の重戦車に対抗する新型対戦車砲として射距離1000mにて装甲150~200mmを貫通し得る口径105mmの試製十糎対戦車砲(カト砲)が自走式(カト)として開発されることになる。