読谷山御殿

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本姓 向氏第二尚氏
家祖 読谷山王子朝憲
出身地 琉球王国・首里
読谷山御殿
石持ち字抜き五爪に左三つ巴
本姓 向氏第二尚氏
家祖 読谷山王子朝憲
種別 琉球王族
出身地 琉球王国・首里
主な根拠地 琉球王国・首里
著名な人物 読谷山王子朝憲、読谷山王子朝英
支流、分家 嶋袋家、宇地原家、安室家
凡例 / Category:日本の氏族

読谷山御殿(ゆんたんざうどぅん)は、尚敬王の次男・尚和、読谷山王子朝憲を元祖とする琉球王族第二尚氏の分家で、代々読谷山間切(現・読谷村)の按司地頭家をつとめた琉球王国大名である。

一世朝憲は尚穆王摂政に就任し、また将軍徳川家治の就任賀のための慶賀使として江戸上りをした。二世朝英も尚成王尚灝王の摂政をつとめた。那覇市首里にある読谷山御殿の墓は、亀甲墓としては最大規模で市の指定文化財になっている。

  • 一世 尚和・読谷山王子朝憲
第二尚氏王統第14代・尚穆王の摂政を務めた。
1786年琉球王国で初めての刑法典「琉球科律」を制定し刑罪の公平を図った[1]
また「海国兵談」で有名な林子平がその著書「三国通覧図説」で朝憲の和歌を紹介するなど、歌人としても全国的に有名で、「琉球国有名の王子、日本までも名高し。博学能書の王子なり」と江戸時代後期の髙木善助「薩陽往返記事」にある[2]
  • 二世 尚大烈・読谷山王子朝英
    一世・朝憲の子。摂政。
  • 三世 向国瑞・読谷山按司朝庸
  • 四世 向廷楨・読谷山按司朝教
  • 五世 向奮庸・読谷山按司朝忠

その他

  • 読谷山家は「御殿(うどぅん)ヌ大(まぎ)サヤ読谷山御殿(ゆんたんざうどぅん)」と謳われ[3]、王族の中でも有力な存在であった。
なお琉球において、御殿(うどぅん)とは王族のことである。
  • 那覇市首里石嶺町にある「読谷山御殿家の墓」は那覇市指定文化財である[4]
  • 読谷山という名字は前述の通り知行地・読谷山間切(現在の読谷村)から来ているが、読谷山家は他に摩文仁間切(糸満市)や具志川間切(久米島町)も知行し[5]、屋敷は首里・虎瀬下(とらじした)にあった。その佇まいは人間国宝の鎌倉芳太郎が写真に収めている[6][7][8]

脚注

参考文献

外部リンク

関連項目

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