讃岐千継

From Wikipedia, the free encyclopedia

時代 平安時代初期
生誕 不明
死没 不明
 
讃岐千継
時代 平安時代初期
生誕 不明
死没 不明
官位 従五位上刑部少輔
主君 桓武天皇平城天皇
氏族讃岐
テンプレートを表示

讃岐 千継(さぬき の ちつぐ)は、平安時代初期の貴族氏姓は凡のち讃岐官位従五位上刑部少輔

讃岐国寒川郡の人物で讃岐国造の後裔。延暦10年(791年)以下を言上して許され、凡直から讃岐公に改姓した。

  • 千継らの先祖は皇直(おおしのあたい、あるいはすめらのあたい)といい、敏達朝において国造の職務を継いでこの地域を管轄した。そこで官名に因んで「紗抜大押」(さぬきのおおし)直の氏姓を賜った。ところが、天智天皇9年(670年)の戸籍(庚午年籍)では「大押」の字を改めて「凡」と記された。これにより皇直の後裔はある者は「讃岐直」を、ある者は「凡直」の氏姓を名乗った。そこで先祖の職務に因んで「讃岐公」の氏姓を賜りたい。

その後、従五位下勘解由次官大判事に叙任され、桓武朝末の延暦22年(803年)勘解由長官・菅野真道や勘解由次官・和気広世とともに『延暦交替式』を撰定上奏した。延暦24年(805年備前権介を兼ねると共に、山城国乙訓郡の白田1町を与えられているが、交替式の選定の功労によるものとみられる[1]

平城朝大同3年(808年)従五位上・刑部少輔に叙任された。

人物

千継が提出した明法勘状が『法曹類林』に2通あるが[2]、いずれも国司の交替解由(交替の際の事務引継ぎ)に関するものであり、交替式の撰者として国司の交替解由に関する法曹界の権威であったことが窺われる[1]

官歴

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI