谷井勘蔵
実業家
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経歴
紀伊国海部郡関戸村[1](和歌山県海草郡雑賀村大字関戸を経て現和歌山市)で、谷井平吉の二男として生まれる[1][2]。1868年4月22日(慶応4年3月30日)に宗家・谷井勘右衛門の養子となる[1][2]。1869年4月3日(明治2年2月22日)養父の隠退に伴い海部郡地士を相続した[1]。
1879年(明治12年)4月、和歌山県会議員に当選[1]するも辞退[3]。同年12月、関戸村会議員に当選した[3][4]。1897年(明治30年)9月、海草郡会議員に当選し[1][4]、その後5期在任した[3]。その他、海草郡所得税調査委員、県商工業部勧業諮問会委員などを務めた[1][3]。
実業界では、1886年(明治19年)10月、第四十三国立銀行取締役に就任[1][4]。以後、四十三銀行取締役、紀陽貯蓄銀行頭取、和歌山綿ネル監査役、紀州銀行監査役、南海絹糸紡績取締役、和歌山県農工銀行設立委員、同行取締役、同行頭取などを務めた[1][2][3][4]。
1904年(明治37年)貴族院議員に互選され[1][3]、同年9月29日[5]から1911年(明治44年)9月28日まで在任した[3][4]。