谷瀬

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谷瀬
谷瀬の吊り橋の写真
谷瀬の吊り橋の写真
谷瀬の位置(奈良県内)
谷瀬
谷瀬
谷瀬の位置
北緯34度06分28.0秒 東経135度45分26.2秒 / 北緯34.107778度 東経135.757278度 / 34.107778; 135.757278
日本の旗 日本
都道府県 奈良県
吉野郡
十津川村
中野村区[1]
面積
  合計 12.013904397 km2
標高
428.0 m
人口
  合計 70人
  密度 5.8人/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
市外局番 0746[5]
ナンバープレート 奈良[6]
自動車登録住所コード 29 807 2012[7]
※座標・標高はこやすば付近
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谷瀬(たにぜ)は、奈良県吉野郡十津川村大字国勢調査に基づく2020年(令和2年)10月1日現在の世帯は41世帯、人口は70人。面積は12013904.397㎡[2]郵便番号637-1106である[4]

小・中学校の学区

十津川村の北東端に位置し、東を宇宮原、西を五條市、南は上野地、北は長殿に接する。村内では中野村区に属する。集落は十津川右岸の宇宮原下流側の斜面に立地し、大字内を流れる小河川によって台地状に分けられた平地、上地、中切、西坊の集落に分けられる[8]

谷瀬の吊り橋」によってその地名はよく知られているが、観光客のアクセスの中心的な存在である国道168号が走る十津川左岸とは対岸に位置する集落である[8]

  • - 十津川(熊野川)[9]

公立中学校に通学する場合、谷瀬全域が十津川第一小学校[10]十津川中学校学区[11]となる。

歴史

沿革

かつては十津川筋上ノ地村の上流に立地しており、寛永郷帳に初めてその村名が見られる。その際の村高は128.249石、幕府領。元禄郷帳では村高87.5石。安政四年(1857年)の産物取り調べ調(十津川宝蔵文書)によると、谷瀬村では杉、檜、椴栂松、煙草、割菜、茶、楮、さくら、当帰が生産されていた[12]。 。寛永6年の合薬製法取り締まり書(1853年)(十津川宝蔵文書)には、村内での硝石製造について記述されており,幕末には鉄砲用の硝石合薬の製造を風屋村・野尻村などと共に行っていたことが分かる.また,谷瀬の吊り橋を渡った先には,大塔宮護良親王が潜居した黒木御所跡(後述)がある[12]。 谷瀬とその対岸の上野地を行き来する上で障害となる十津川を渡る手段はかつては河原に渡された丸木橋のみであったが,洪水のたびに流される丸木橋ではなく吊り橋を架けたいという希望が谷瀬の住民から起こり、1954年に集落の財産である共有林の林木の売却や住民の支出によって谷瀬の吊り橋が建設された[13]

谷瀬の集落づくりプロジェクト

2013年よりNPO法人スローライフ・ジャパン野口智子氏をコーディネーターとして、集落住民自らが地域資源を活かした取り組みを次々に発案し実践を続けている。2014年より奈良女子大学の室崎研究室と奈良県立大学の神吉研究室も参画し、集落と協働して活動を行っている。プロジェクト始動時に谷瀬総代であった北谷忠弘氏の「外の人も受け入れて一緒に集落づくりを進める」との決断が、様々な展開に繋がったと言える[14]

人口の変遷

総数 [世帯数および人口]
世帯数(世帯) 人口(人)
1889年 55 333
1937年 38 210
1960年 38 186
1980年 42 107
2000年 41 88
2020年 40 69

1959年以降,大半の大字で世帯数が減少しているにも関わらず,重里と共にほぼ維持されている.一方,人口は1960年に186人であったものが1980年には107人,2020年には69人と他の大字同様激減しているものの,関西電力奥吉野発電所に関わる社員寮があるといった事情から,中野村区の他の集落と比較すると人口減少は抑えられている[8]

生活

脚注

参考文献

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