豆粒文土器
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特徴
- 器形は、ラグビーボールの一端を切り落としたような外形をしており[1]、胴部がやや膨らみ、丸底に近い平底である。当初はU字形の外形に復元されていた[4]。
- 豆粒状の粘土粒が、口の部分から胴体部分にかけて貼り付けてある。口縁に約1.5センチメートル間隔、胴部には3 - 4センチメートル間隔で粘土粒が並ぶ[4]。表面下方と内面には粘土粒はない[1]。
- 破片には繊維を混入した土器もある。また、補修時の穴もみられる[4]。
- 土器の表面胴部に煤(すす)が付着していたことから、煮炊きに使用されていたと考えられる[3]。
- 泉福寺洞窟以外では明確な出土例がない。長崎県福井洞窟や鹿児島県加治屋園遺跡などの隆起線文土器が出土した土器で豆粒文を有する土器片が出土しているほか、関東地方でも同様の破片が出土している[1]。
年代
泉福寺洞窟では、隆起線文土器や細石刃が共伴して出土しており、旧石器である細石刃の共伴し、隆起線文土器より古いことから、世界最古級の土器と考えられた。第10層の真上の第9層で見つかった焼石炉の石材は、熱ルミネッサンス法による年代測定で、11,840±740年前という測定結果が出ており[1]、これより古いのは確実である。放射性炭素年代測定法やフィッショントラック法などの分析法や、上下の土層の年代などを交えた分析では、隆線文土器の年代は約12,000年前、豆粒文土器は約13,000年前とされている[5]。なお、直近の調査により約16,000年前という事が判明した。
