豊川進雄神社
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位置
北緯34度49分33.9秒 東経137度23分47.3秒 / 北緯34.826083度 東経137.396472度座標: 北緯34度49分33.9秒 東経137度23分47.3秒 / 北緯34.826083度 東経137.396472度
主祭神
進雄命
| 豊川進雄神社 | |
|---|---|
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拝殿 ![]() | |
| 所在地 | 愛知県豊川市豊川西町134 |
| 位置 | 北緯34度49分33.9秒 東経137度23分47.3秒 / 北緯34.826083度 東経137.396472度座標: 北緯34度49分33.9秒 東経137度23分47.3秒 / 北緯34.826083度 東経137.396472度 |
| 主祭神 | 進雄命 |
| 社格等 | 郷社 |
| 創建 | 大宝元年(701年) |
| 例祭 | 7月20日に近い金曜・土曜・日曜 |
| 地図 | |
- 進雄命(すさのおのみこと)
沿革


文武天皇の治世である大宝元年(701年)、豊川の西岸に牛頭天王を祀って雨乞いの祭祀を行ったことが当社の創始であると伝えられる。村上天皇の治世である天徳元年(957年)に現在地に遷宮した。治承4年(1180年)には、平維盛に仕える平忠度が参拝して戦勝祈願を行った。嘉禎4年(1238年)には、征夷大将軍の藤原頼経が上洛の際に参拝してヒノキを献じたと伝えられる。貞治2年(1363年)には、満良親王が参拝した。
慶長元年(1596年)、領主の池田輝政によって刀一口と馬鞍一対が献納され、家臣の堀尾孫介が社殿を造営した。寛永7年(1630年)、領主の水野佐渡守忠直によって刀一口が献納され、正保2年(1645年)、領主の小笠原忠知によって青銅製六角形釣燈籠が奉納された。正保2年(1645年)には、春日局が参拝した。享保20年(1735年)、領主の大岡忠相によって刀一口が献納され、元文5年(1740年)には釣燈籠一対が寄進された。
明治期以前は豊川牛頭天王と呼ばれていたが、神仏分離によって進雄神社に改称された。1923年(大正12年)には元宮が本社に合祀され、豊川進雄神社に改称された。1965年(昭和40年)には愛知県神社庁が指定する四級社に昇格した。2016年(平成28年)には樹齢250年を超えるとされるシイの神木を保存する作業が完了した[1]。
