1664年(寛文4年)、筑前福岡藩の浦奉行で儒学者、本草学者の貝原楽軒の長男として生まれた。弟に歌人の貝原和軒がいる。のちにこれも儒学者、本草学者の叔父である貝原益軒の養子となる。
父とともに福岡藩に仕え、藩命により益軒の「筑前国続風土記」編集にも関わった。
中国の『爾雅』に倣った国語辞書『和爾雅』を編纂した。
イギリス帝国の外交官の男爵ミットフォードは、1866年から4年間の日本滞在中に日本語を学んでいたが、貝原の『諺艸』を知り、著者までは分からなかったらしいものの、内容の一部を英訳して本国で紹介し、初めて英語に翻訳された日本の本であろうと述べている[注釈 1]。