赤レンガ大学群

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リヴァプール大学ヴィクトリア・ビルディング英語版エドガー・アリソン・ピアーズ英語版による「赤レンガ大学」命名の由来となった。
バーミンガム大学アストン・ウェッブ英語版ホール
マンチェスター大学

赤レンガ大学群: Red Brick University / Redbrick University)は、19世紀後期から20世紀初頭に勅許状(ロイヤル・チャーター)を受けたイギリスイングランドにある9つの市民大学の総称。

オックスフォード大学ケンブリッジ大学に代表される古代の大学の石造りのゴシック様式の校舎に対比して、赤レンガ造りの校舎が特徴であったことが呼称の由来である。

もとは19 世紀にイングランドの主要工業都市に設立された9つの市民大学を指していた[1]。この9校のうちの6校(またはその前身となる大学)は、第一次世界大戦前に大学としての地位を獲得しており、当初は市民向けの科学・工学系大学として設立された[2][3][4][5]。また、この9校のうち、解体されたヴィクトリア大学連合を除いた、現存する8校全てがラッセル・グループの加盟大学である。

一方、1960年代の新設大学の急増と1992年の『継続教育・高等教育法』によって大学を分類し直したことにより、19世紀後半から20世紀前半に主要都市で設立された全てのイギリスの大学が「赤レンガ大学」と呼ばれることもある[6]

「赤レンガ大学」の呼称は、リヴァプール大学スペイン語学教授のエドガー・アリソン・ピアーズ英語版が、ブルース・トラスコットというペンネームで1943年に発表した自書「赤レンガ大学」の中で市民大学を指す語として造語したものである[7]

この名前はリヴァプール大学のヴィクトリア・ビルディング英語版の外装が赤レンガテラコッタ装飾英語版を施した特徴的な建築であったことに由来している[8]。後にピアーズは、タイトルに「赤レンガ」を使ったことを後悔したとされる。[9]。なぜなら、レンガを使用することは旧来の名門大学の石造建築に比べ、安価で伝統的でないという印象を与え、名門大学と市民大学への一般市民の評価の差異を反映していると考えられたからである。

これに対比して、20世紀中期頃に設立されたイギリス大学は、そのモダニズム様式の建築から「プレートガラス大学群」と呼ばれる。

市民大学運動

市民大学運動は、オーウェンズカレッジ英語版マンチェスター)の1851年創設に始まり、その後19世紀後半に主要地方都市で他のユニバーシティ・カレッジが相次いで設立された。これらの都市には、科学技術に精通した労働力への強い需要があったのである。

彼らの理工系重視の姿勢にはユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの影響が指摘され、古代大学であるオックスフォード大学やケンブリッジ大学およびヴィクトリア朝以前のダラム大学(ただし1837年に英国初の工学系学科を設置)のリベラル・アーツ中心主義と通例対照されてきた[10][11][12]。しかしその後の研究によって、市民大学創設者達は唯物主義への反感や市民的誇りに支えられていたことが指摘されている。とりわけリヴァプール大学とオーウェンズカレッジには、初期から人文学の強い伝統があった[13][14]

赤レンガ大学群は、当初はロンドン大学の外部試験(今日のロンドン大学ワールドワイド英語版)、ヴィクトリア大学連合英語版への加盟、あるいはダラム大学との連携により学位を授与した。1889年から、政府は当時存在した8つの赤レンガ大学に助成を行い、レディング大学は1901年に助成が開始された[15][14]

第一次世界大戦前に大学へ昇格した6校は以下のとおりである。

  • リーズ大学:ヨークシャー・カレッジ・オブ・サイエンス(1874年)は1884年にリーズ医学校英語版(1831年創設)と合併し、1886年にヴィクトリア大学連合へ加盟、1904年に独立大学となった[18]
  • リバプール大学:ユニバーシティ・カレッジ・リバプールは1881年設立、1884年にヴィクトリア大学連合に加盟し、1903年に独立大学となった[20]

その後に独立大学の地位を得た赤レンガ大学は下記の通り。

  • ニューカッスル大学:1871年にダラム大学と連携して設立され、のちアームストロング・カレッジと改称。1834年創設の医学校(1852年からダラムと連携)とともに1909年にダラム大学連合のニューカッスル部門となり、1937年に両者が合併してキングス・カレッジとなった後、1963年にニューカッスル・アポン・タイン大学として独立した[22]
  • レディング大学:1892年にオックスフォード大学の分校として設立され、既存の美術・科学学校を統合、1926年に大学となった[14]
  • ノッティンガム大学:1881年に市民大学として設立され、1948年の王室勅許による大学昇格まで学生はロンドン大学の外部学位を取得していた[23]

合同イングランド大学選挙区英語版は、1918年人民代表法英語版により設けられた英国下院大学選挙区英語版で、ダラム大学(ニューカッスルを含む)および第一次世界大戦前に大学となった6校(バーミンガム、ブリストル、リーズ、リバプール、マンチェスター、シェフィールド)の卒業生を有権者とした。オックスフォード、ケンブリッジ、ロンドン(ロンドン学位を取得したレッドブリック卒業生を含む)の卒業生はすでに選挙権を有しており、ウェールズ大学の卒業生も同時に参政権を得た。レディング大学は1928年に同選挙区へ追加された(それ以前、ロンドン学位の卒業生はロンドン選挙区に編入)。この選挙区は1950年に廃止された[24]

大学一覧

大学名 設立年* 備考
ヴィクトリア大学連合
Victoria University
1880 1903年に同大学連合は解体され、リーズ大学リヴァプール大学、ヴィクトリア大学マンチェスター校とそれぞれが独立した機関としてロイヤル・チャーターを受けた。
バーミンガム大学
University of Birmingham
1900 独立した市民大学として初めて、ロイヤル・チャーターによる正式な大学としての地位を獲得した。
ヴィクトリア大学マンチェスター校
Victoria University of Manchester
1903 1903年にヴィクトリア大学連合から独立。2004年にマンチェスター工科大学と合併して現在のマンチェスター大学となった。
リヴァプール大学
University of Liverpool
1903 1903年にヴィクトリア大学連合から独立。
リーズ大学
University of Leeds
1904 1904年にヴィクトリア大学連合から独立。
シェフィールド大学
University of Sheffield
1905
ブリストル大学
University of Bristol
1909
レディング大学
University of Reading
1926 基本は上記6校が赤レンガ大学として有名だが、近年ではこれらの大学も参照されつつある。
ノッティンガム大学
University of Nottingham
1948
ニューカッスル大学
Newcastle University
1963

*勅許状(ロイヤル・チャーター)を受けた年。組織の創立年ではない。

その他の機関

関連項目

脚注

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