赤司鷹一郎
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福島県令・検事の赤司欽一の長男として東京に生まれる。東京府立一中[要出典]、旧制第一高等学校を経て、1897年(明治30年)に東京帝国大学法科大学を卒業し、内務省に勤めた。翌年、文部省に移り参事官に任ぜられた。1902年(明治35年)から2年間、教育制度と行政法の研究のため欧米留学を命じられた。1911年(明治44年)、維新史料編纂会事務局長に就任した。1916年(大正5年)に普通学務局長に昇進し、1922年(大正11年)からは文部次官を務めた。その間、臨時教育行政調査会や教育評議会の委員となった。
1924年(大正13年)に退官した後も多くの委員会委員に選ばれた。また、文部省在官中から職業教育に力を注ぎ、1928年(昭和3年)には日本職業指導協会を設立して理事長に就いた。1932年(昭和7年)9月27日、錦鶏間祗候を仰せ付けられた[2]。
その他に保善商工教育財団の評議員・理事を務め、1933年には同財団の運営する東京植民貿易語学校・東京保善商業学校・東京保善工業学校の校長に就任した。