赤穂雲火焼
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1848年(嘉永元年)~1849年(嘉永2年)、大嶋黄谷が28~29歳の頃、赤穂逗留中の今戸焼の陶工・作根弁次郎から陶技を習得し、1852年(嘉永5年)に雲火焼の焼成に成功[2][3]。雲火焼の特徴は、白地に橙色、黒色の夕焼け空にも似た美しい窯変が現れている点である[2][3]。黄谷は第1回内国勧業博覧会に作品を出品して花紋褒賞を受賞し、弟子も採ったものの、雲火焼の技法は継承されなかった[2]。
20世紀に入ると、桃井香子と長棟州彦の手によって雲火焼は復元され[4]、1993年(平成5年)には兵庫県伝統的工芸品に指定された[5]。1999年(平成11)年5月に「雲火焼展示館 桃井ミュージアム」がオープンした[3]。2020年現在、赤穂雲火焼の窯元赤穂瀬戸内窯で焼かれている[6]。