越境寺
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位置
北緯34度59分0.7秒 東経136度58分1.5秒 / 北緯34.983528度 東経136.967083度座標: 北緯34度59分0.7秒 東経136度58分1.5秒 / 北緯34.983528度 東経136.967083度
山号
海量山
宗派
法華宗
| 越境寺 | |
|---|---|
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| 所在地 | 愛知県知多郡東浦町緒川屋敷弐区23 |
| 位置 | 北緯34度59分0.7秒 東経136度58分1.5秒 / 北緯34.983528度 東経136.967083度座標: 北緯34度59分0.7秒 東経136度58分1.5秒 / 北緯34.983528度 東経136.967083度 |
| 山号 | 海量山 |
| 宗派 | 法華宗 |
| 本尊 | 多宝如来・釈迦牟尼仏 |
| 創建年 | 応仁元年(1468年) |
| 開基 | 日遵上人 |
| 文化財 | 切支丹灯篭(町指定) |
越境寺(おっきょうじ)は、愛知県知多郡東浦町緒川屋敷弐区23にある法華宗の寺院。山号は海量山[1]。本尊は多宝如来・釈迦牟尼仏[1]。知多半島には曹洞宗の寺院が多く、法華宗の寺院は珍しいとされる[2]。
創建
応仁元年(1468年)、日遵上人によって字屋敷三区に越境寺が創建された[1]。
近世
2世の日源上人は緒川城主水野信元の弟であり、元亀3年(1572年)12月27日に信元が殺されて所領を没収された際には越境寺も破却追放された[1]。その後信元の弟である水野忠重がこの地を統治するようになると、天正5年(1577年)に忠重の家臣上田清兵衛が現在地に越境寺を再興した[1]。
慶長年間(1596年~1615年)には隣接する善導寺との間で紛争が起こり、巡錫中だった妙満寺の日経がこの地で法難を受けた[1]。
近代・現代
太平洋戦争中の1944年(昭和19年)8月、名古屋市立道徳国民学校の児童が東浦町に学童疎開した[3]。傳宗院に本部が置かれ、緒川の傳宗院、越境寺、了願寺、東光寺、森岡の極楽寺、臨江寺、妙法寺が宿舎となった[3]。1945年(昭和20年)12月7日に起こった昭和東南海地震後、越境寺の児童は善導寺に移っている[3]。
境内
文化財
町指定文化財
- 切支丹灯篭(工芸)
- 奥庭に建立されている天城石を用いた切支丹灯籠(切支丹灯篭、キリシタン灯籠)[4][2]。竿の長さは90センチメートル、胴回りは100から105センチメートル[5]。擬宝珠を有する笠は八角形に広がる。竿は円柱部がわずかに膨らむエンタシス形式であり、前後に火袋として十字架の模様がくりぬかれている[6]。隠れキリシタンが崇拝した灯籠である[6][2]。
- この武士は天正18年(1590年)に相模国の玉縄城主となった水野忠守であるとする説がある[6]。また、寛文年間(1661年~1673年)には尾張藩でキリシタンの摘発があり、この頃に武士から預けられたという説がある[4]。1979年(昭和54年)3月指定[7]。
