趙国安
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趙国安の前半生については不明な点が多いが、兄の趙国宝が亡くなった時、その息子の趙世栄がまだ幼かったために趙国宝の地位を継承して蒙古漢軍元帥・兼文州吐蕃万戸府ダルガチとなった。 さらに兄の辺境平定の功績を加味して金虎符を与えられ、昭勇台将軍とされた。
至元15年(1278年)、安西王マンガラがシリギの乱討伐のため北上した隙を狙って六盤山で挙兵した南平王トゥクルクの反乱を鎮圧する功績を挙げた。その後、趙世栄が十分に成長したため、趙国安は自らの地位を譲ることをクビライに請うた。そこでクビライは「常人は地位を巡って争うというのに、汝は自ら地位を譲るという。地位を巡って争う世間の悪風を改めうる殊勝な態度である」と述べ、六盤山でのトゥクルク討伐の功績を加味して無官となった趙国安を昭毅大将軍・招討使に任じた。