興国7年/貞和3年(1347年)6月8日、二条京極の吉良満義の宿所において、足利直義の子として生まれる。生母は直義の夫人・渋川氏。
父母共に当時41~42歳(数え)という高齢での誕生であった。それまで実子が生まれなかった直義は兄・尊氏の庶子である足利直冬を養子にしていた。如意丸は直義にとって待望の嫡男であった。
光厳上皇や各大名・公家などはこの誕生を祝い、それぞれ馬や太刀を贈ったり、祝いの言葉を伝えたりした。後に観応の擾乱で対立することになる兄・尊氏も、この時は喜びの気持ちを表している。
なお、『太平記』では如意丸(如意王)は直義の命によって殺害された護良親王の転生だとする見解が記されている。
しかし、観応2年(1351年)2月25日、観応の擾乱の最中に石清水八幡宮の軍陣に直義といた際、陣中の厳しい寒さのためか急死する。享年5(数え年)。同年4月8日、直義は如意丸(如意王)の追善供養のための料所として、但馬国太田荘秦守を臨川寺三会院に寄進した。