天武天皇13年(684年)八色の姓の制定により、路公姓から路真人姓に改姓する。
文武天皇3年(699年)弓削皇子が薨じた際、大石王と共に葬儀を監護する(この時の冠位は直広参)。大宝元年(701年)大宝令における位階制度の制定を通じて正五位下に叙せられ、同年7月の左大臣・多治比嶋の葬儀に際して、公卿の誄を宣べる。また、大宝2年(702年)に持統上皇が崩御した際には作殯宮司を務めている。大宝3年(703年)衛士督に任ぜられる。
和銅4年(711年)従四位下、和銅8年(715年)従四位上・大宰大弐に叙任されるなど、元明朝で順調に昇進した。
養老3年(719年)正月に正四位下に至るが、同年7月18日卒去。最終官位は大宰大弐正四位下。