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蹇々録

大日本帝国の外務大臣・陸奥宗光が執筆した外交記録 From Wikipedia, the free encyclopedia

『蹇々録』(けんけんろく、蹇蹇録)は、明治時代の外務大臣陸奥宗光[1]が執筆した外交記録。1895年(明治28年)成立、1929年(昭和4年)刊。

陸奥の晩年の1892年(明治25年)以降に執筆されたが、外務省の機密文書を引用しているため長く非公開とされ、1929年(昭和4年)に初めて公刊された。明治外交史上の第一級史料である。

内容

陸奥宗光の著書『蹇々録』には、1894年(明治27年)の甲午農民戦争(東学党の乱)から1895年(明治28年)の三国干渉に至るまで、外務大臣としての外交経験や苦心、回想が記録されている。

たとえば日清戦争の開戦動機について、内村鑑三をはじめ当時の世論は概ね「清国の不当な朝鮮支配を排する義戦」と捉えていたが、本書では一転して日本の国益を追求した戦争であり、義侠心によるものではない旨が明言されている。

日朝関係の記述は三期で構成される。日清戦争に至る第一期、井上馨による朝鮮の内政改革(甲午改革)を記す第二期、そして下関条約(日清講和条約)締結へ至る経緯を詳述する第三期に分かれる。

三国干渉の場面における「畢竟我に在ては其進むを得べき地に進み其止らざるを得ざる所に止まりたるものなり余は当時何人を以て此局に当らしむるも亦決して他策なかりしを信ぜむと欲す」という結語は特に著名である。

後続作品・関連文献

沖縄返還交渉の密使を務めた若泉敬によるドキュメント『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(文藝春秋)の書名は、この結語に由来する。

また、外交官・評論家の岡崎久彦(陸奥の親族)による晩年の著書に『明治の外交力 陸奥宗光の『蹇蹇録』に学ぶ』(海竜社、2011年)がある。

書名の由来

表題は、『易経』にある蹇卦の「蹇蹇匪躬」(けんけんひきゅう)から採られた[2]。「王臣蹇蹇、躬 (み) の故に匪 (あら) ず」と読み下し、意味は、王の臣は足が萎え進退が極まろうとも自身を優先することはない意であり、君主に忠誠を尽くすこと[3]。

脚注

参考文献

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