常陸国真壁郡下妻村(現・茨城県下妻市)の人。天保6年(1835年)、旧下妻藩邸に生まれる。那珂通高に学び、経史を中心に学問を修めた。
明治元年(1868年)8月、公議所制度が布告されると公議人に選ばれ、諸藩の同職226人とともに公議所に出仕し、国事の審議に参加した。明治2年(1869年)には下妻藩権大参事に任命される。
維新後、常陸下妻藩士・軽部鷁弥から軽部斐と改名した。廃藩置県後は宇都宮県に出仕し、まもなく栃木県へ転じて県務に携わった。
明治11年(1878年)、茨城県稲敷郡長(信太・河内郡長)に任命され、同郡の初代郡長として地方行政の整備にあたった。
明治22年(1889年)7月、病没した。