近江丸 (初代)
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船歴
イギリスのアームストロング・ミッチェル社で建造され[2]、1884年(明治17年)3月27日に進水し[1]、同年4月に竣工[1]。同年9月20日に横浜に到着した[4]。同年12月の甲申政変では御用船として輸送任務に従事した[5]。
1885年(明治18年)9月に共同運輸は郵便汽船三菱と合併して日本郵船となり、「近江丸」も日本郵船に継承された[6]。
「近江丸」は2度ハワイへの移民輸送をおこなった[7]。1889年(明治22年)3月3日ハワイ到着の回では957人、1891年(明治24年)3月30日到着の回では1081人の移民を運んだ[7]。
日清戦争では陸軍と海軍に徴傭された[8]。期間は陸軍が1894年(明治27年)6月5日から7月20日、海軍が同年7月11日から1896年(明治29年)1月25日であった[9]。海軍には巡洋艦代用として傭船された[3]。雇用費は17万8557円[10]。兵装は80年式30口径17cm克砲2、旧式7,6cm安式砲4、4連装ノルデンフェルト砲6、小銃115、拳銃44、舶刀44であった[10]。「近江丸」の主任務は水雷艇の母艦任務で、他に艦隊根拠地の水雷敷設任務などもあった[11]。「近江丸」は台湾・澎湖諸島占領の際には第四水雷艇隊の母艦を務めた[12]。次いで艦隊の福建省沿岸巡航に水雷艇3隻を伴って参加[13]。その後、西海艦隊に編入された[13]。1895年(明治28年)7月20日には「近江丸」でコレラが発生している[13]。
1896年(明治29年)10月に開設された横浜・メルボルン航路に「近江丸」は就航している[14]。
義和団事件の際には1901年(明治34年)6月23日から7月25日まで陸軍に徴傭された[15]。
日露戦争では海軍に1904年(明治37年)1月6日から1905年(明治38年)2月23日まで、陸軍に同年2月24日から1906年(明治39年)3月22日まで徴傭された[16]。海軍では石炭、清水、軍需品等を艦隊へ供給する運送船として使用された[17]。