近衛政深 From Wikipedia, the free encyclopedia 諡号 宝池院尊称 権僧正法印宗派 真言宗醍醐派寺院 醍醐寺政深諡号 宝池院尊称 権僧正法印宗派 真言宗醍醐派寺院 醍醐寺テンプレートを表示 近衛 政深(このえ せいしん、生没年不詳)は、室町時代の真言宗醍醐派の僧侶。醍醐寺の座主。父は近衛房嗣。足利義教の猶子。 関白・近衛房嗣の子供として生まれる(『醍醐寺新要録』によれば、実際は一条教房の子とされる[1])。母は不明。後に足利義教の猶子となる。兄弟に教基・政家・道興・増運・政弁がいる[要出典]。 兄弟の道興・増運・政弁と同様に仏門に入る。永享3年(1431年)には宝池院に入室することとなっていたが、父・房嗣が参賀しないことから将軍・足利義教の不興を買って中止され、代わりに一条兼良の子・教賢が入ることとなった[2]。実際に宝池院に入室できたのは宝徳元年(1449年)12月となった[2]。 真言宗醍醐派の総本山である醍醐寺の僧となり、応仁2年(1468年)9月に醍醐寺の座主(三宝院門跡)となった[3]が、文明元年(1469年)6月18日には座主を辞任して寺を離れた[1]。 脚注 1 2 『体系日本史叢書 15』(山川出版社、1994年)p.259 1 2 『体系日本史叢書 15』(山川出版社、1994年)p.260 ↑ 『公卿辞典〔3訂増補〕』(国書刊行会、1994年)[要ページ番号] この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。表示編集 Related Articles