進歩党 (ノルウェー)

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議会内会派代表 Harald T. Nesvik
創立 1973年4月8日
本部所在地 オスロ
 ノルウェーの政党
進歩党

Fremskrittspartiet
党首 シルヴィ・リストハウグ英語版
議会内会派代表 Harald T. Nesvik
創立 1973年4月8日
本部所在地 オスロ
機関誌 Fremskritt
青年部 Fremskrittspartiets Ungdom
党員・党友数 16,342人 (2014年)[1]
政治的思想 国民保守主義
保守自由主義[2][3]
経済的自由主義[4][5][6]
右翼ポピュリズム
政治的立場 右派 - 極右[7]
国際連携 なし
欧州連携 なし
公式カラー Blue (dark blue)
国会
47 / 169
(2025年9月8日)
県議会[8]
96 / 728
自治体議会[9]
1,143 / 10,781
サーミ議会[10]
2 / 39
公式サイト
www.frp.no
ノルウェーの政治
ノルウェーの政党一覧
ノルウェーの選挙

進歩党(しんぽとう、ノルウェー語 (ブークモール): Fremskrittspartiet, ノルウェー語 (ニーノシュク): Framstegspartiet, 略称:FrP)は、ノルウェーリバタリアン政党。

アンネシュ・ランゲ(1930年代)

第二次世界大戦前から右翼活動に関わっていたアンネシュ・ランゲノルウェー語版1973年に創設した、その名も「税金と公的介入を強力に縮小するためのアンネシュ・ランゲの党」が前身。同年の総選挙では、労働党と既存保守政党の双方への批判票を集め、4議席(得票率5,01%)を獲得した。翌1974年にランゲが死去しエイヴィン・エックボノルウェー語版が党首に就いたが、路線をめぐる内部対立が深まった。この結果カール・ハーゲンをリーダーとするグループが離党して、改革党(Reformpartiet)を結成した。1975年に再合同したものの、選挙では長く低迷することとなった。なお1977年に現在の進歩党に改称している。

その後、党組織の構築やハーゲンの効果的なテレビ戦術が功を奏して、1989年の総選挙では、165議席中22議席を獲得する大躍進を遂げた。1990年代後半からは第二党ないし第三党の地位を確たるものとし、2005年には169議席中38議席と再び躍進して、得票率も20%を超えた。

長年にわたって党の顔であったハーゲンは2006年に党首を退き、当時36歳のシーヴ・イェンセンが後継党首となった。2009年の総選挙では第二党となっている。

2013年の総選挙では第三党となった。第二党のノルウェー保守党との少数与党連立構想は、進歩党に一時期ノルウェー連続テロ事件の容疑者アンネシュ・ベーリング・ブレイビクが所属していたことから議論を呼んだ。2020年1月20日、政府がISILに関わっていた疑いのある女性を、子供の治療が必要としてノルウェーに送還させると決定したことに抗議し、党首シーヴ・イェンセンは財務大臣を辞任し、党も連立政権からの離脱を表明した[11]

政策

反移民政策。ただし、全面的な移民排斥ではなく「ノルウェーは男女平等で、福祉の進んだ国家である。故にまったく考えの異なる移民を迎えるなど到底出来ない」として、主に中東・北アフリカからやってくるムスリム移民の抑制を唱えている。隣国デンマークデンマーク党のように白人以外の外国人を排斥するなどのような、単純な反移民政策とは異なる。

経済・財政政策においては、国家の介入を最小限に抑え、市場原理に委ねることを主張している。経済の大きな部分を占める公的部門を民営化し、累進的課税の除去による経済活動の活性化など、福祉国家の転換へ向けての政策が中心となっている。

こうした急進的な政策のため、議会内で一定の勢力を築いたにかかわらず、政権への参加は長い間実現しなかった。ノルウェーの政党は社会主義ブロックとブルジョワ・ブロックに分かれて連立政権を形成することが多く、進歩党は政策的には後者に近い。しかし2001年に発足したキリスト教民主党中心のボンデヴィーク英語版政権があえて少数政権の道を選んだように、進歩党はブルジョア・ブロック政権においてもその閣内パートナーとして迎えられなかった。2013年発足の保守党を中心とするエルナ・ソルベルグ政権でようやく政権入りしたが、先述の通り結局は2020年に連立政権を離脱するに至った。

歴代党首

脚注

外部リンク

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