過ちて改めざる是を過ちという
From Wikipedia, the free encyclopedia
過ちて改めざる是を過ちという(あやまちてあらためざるこれをあやまちという)は、『論語』からの言葉。
由来
本当の過ちというのは過ちを起こしたということを知っているものの、そこから悔い改めないということである[1]。人間というものが過ちを犯すということは仕方がないことなのである。そして即座にこれを改めたならばそれは過ちではなくなるとのこと[2]。
この言葉は『論語』の衞靈公が由来である。それによると孔子が言うには、思いがけずに知らず知らずのうちに悪いことをするということが過ちであるとのこと。それに対して悪というのは故意に道理に反するというような行為であるとのこと。そして孔子は、過ちというのは誰もが犯すことなのであるが、その過ちを犯そうともそれを改めないということが本当の過ちでるということを述べていたのであった[3]。『論語』には過ちに言及しているということが多い。当時は乱世の世であり、あらゆる道徳には基準というものは存在していなかった。このような様々な価値観が存在しているということに対して孔子は危機感を抱いていたために、弟子たちには例え一時的に価値観から外れた生き方をしていようとも、それに気付いて改めさえすれば問題が無いということを強調していたのであった[4]。
脚注
ウィキソースに論語 (漢文叢書)/衞靈公第十五の原文があります。
出典
- ↑ デジタル大辞泉. “過ちて改めざる是を過ちという(アヤマチテアラタメザルコレヲアヤマチトイウ)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2026年3月3日閲覧。
- ↑ “過ちを改めざる是を過ちと謂う | 会話で使えることわざ辞典 | 情報・知識&オピニオン imidas - イミダス”. 情報・知識&オピニオン imidas. 2026年3月3日閲覧。
- ↑ “No.2637【過(あやま)ちて改めざる、是れを過ちと謂う】 『論語』衞靈公 |今日の四字熟語・故事成語|福島みんなのNEWS - 福島ニュース 福島情報 イベント情報 企業・店舗情報 インタビュー記事”. fukushima-net.com. 2026年3月3日閲覧。
- ↑ “過(あやま)ちを改(あらた)めざるこれを過(あやま)ちという | 今週のことわざ(三省堂辞書編集部) | 三省堂 ことばのコラム”. 三省堂WORD-WISE WEB -Dictionaries & Beyond- (2007年9月10日). 2026年3月3日閲覧。