道後球場は四国一の球場との呼び声高く、愛媛野球の発展を支えたとされている[1]。グラウンドは現在の道後祝谷の山頂にあったため、利用する選手たちは市街電車を道後で降り、道具を担いで山道を歩かなければならなかった[2]。大阪タイガース(現阪神)初代監督を務めた森茂雄や、巨人の名二塁手・千葉茂など、後に野球殿堂入りを果たす名選手たちを輩出した松山商は、球場の近くに合宿所を設け猛練習に励むなど、その恩恵を受けた[1]。同校は25年と32年の春、35年夏に日本一に輝いた[1]。
戦後復活した全国中等学校優勝野球大会の愛媛県大会である松山地方中等学校野球大会では、松山中学が校長の号令の下イモ畑となっていた校庭をグラウンドとして整備し、住宅地となって使用できない道後球場の代わりに会場として使用した[3]。手配が難しかった硬式球ではなく軟式球が使用されたが、松山中学、松山商業、北予中学、松山工業、新田中学(現新田高校)が参加し、終戦からわずか3か月程で5校ものチームが参加した大会が開催されたのは全国的にも稀なものだった[2]。