遠江射場
静岡県に存在した旧日本軍の砲撃実験用の射場。
From Wikipedia, the free encyclopedia
歴史
射場の中心的な施設が集まっていた旧三浜村の竜今寺川のあたりから、現在の浜岡原子力発電所を超えて旧白羽村まで[5]の土地が、1938年、1940年、1942年の三回にわたって接収された[6]。射場員はおよそ1000名で、在郷軍人を主体とした農民であった[7]。常駐した軍人は陸軍中尉の保坂栄一のみであり、東京の造兵廠から派遣されていた[8]。目的は軍事演習ではなく、砲や砲弾の威力を調べることであった[9]。
1945年の敗戦後、遠江射場には米軍が半年駐屯し、兵器を搬出した[10]。そして射場は1946年に閉鎖され、地元の農民や引揚者によって開拓されることとなった[11]。戦後、土の中からは大量の弾が見つかっている[12][13]。その後1952年、遠江射場のあった土地を接収し、米軍の射爆場にする計画が立ち上がった[14]。この接収計画に対して地元住民は反対運動をおこし、計画は撤回された[15][16]。
施設
掛川市浜野には事務所や格納庫、工場や兵舎などが集中している[17]。砲など物資を運び込むための軌道があり、中遠軌道と結ばれていた[18]。砲を発射した場所は「原点砲列」と呼ばれており[19]、司令所跡や、砲座の跡、輸送路と防空壕を兼ねたコンクリートのトンネルなどが残っている[20][21][22]。砂丘の上には五階建てのコンクリートの建物があり、風速塔と呼ばれていた。国道150号線が建設される際に取り壊された[23]。これらのほとんどは私有地の中にある[24]。
- 信管のテストのための試験場
- 司令所
- コンクリートのトンネル
- トンネル内部
- 遠江射場建設記念碑
- 裏面
砲があった浜野に施設が集中しており、周囲は柵で囲まれていた[25]。以東は着弾地であり、柵はなく、陸軍の射場であることをしめす石柱が50メートルおきに建てられた[26]。現在の国道150号線のあたりに機材や人員を運ぶための軌道が敷かれていた[27]。この軌道は戦後、静岡鉄道に払い下げられ、静岡鉄道駿遠線となる[28]。

石柱に加えて、着弾地点を確認するためのトーチカが一定の間隔で建てられ、観的所(かんてきじょ[29])と呼ばれていた[30][31]。原点砲列から約8キロメートル離れている[32]、御前崎市に唯一残る観的所はやがて雑木林と竹やぶとゴミに埋もれ、荒廃していったため、市民団体「ふるさとの自然をまもり隊」が2020年11月から草刈りやごみの除去、パネルの設置など、保全活動に取り組んでいる[33][34]。
