大学卒業後、コンピュータ アプリケーションズ(CAC)で、コンピュータエンジニアとして勤務していたが、1976年(昭和51年)に雑誌『I/O』の創刊に参加し、翌1977年(昭和52年)には西和彦、塚本慶一郎と共に、日本におけるベンチャー企業の元祖と言われていることになる株式会社アスキー出版を設立し、コンピュータ関連の専門書籍の出版活動を開始する。
西によれば、元々は西が郡司の実家に下宿していたことが知り合うきっかけで、夜毎コンピュータ関連の話題について語り合う仲だった。そんなある日、郡司が突然CACを辞めたため、西が当時編集に関与していた雑誌『I/O』(工学社)への参加を誘ったところ、二つ返事でOKしたという[1]。ところが『I/O』の編集方針で編集長と仲違いしたため、結局「自分たちで雑誌をやる」ということになりアスキーを設立した[1]。
郡司は共同創立者の西や塚本よりも年上だったこともあり、出版やソフトウェアビジネスなどの個別のビジネスは両名に任せ、社長として会社全体の経営に携わり、二人を支えた。西も後に「株式会社アスキーの企業としての枠組みをつくったのは郡司さん」と語っている[2]。1987年(昭和62年)には社長職を西に譲り、会長を務めたが、1991年(平成3年)、経営方針を巡る対立から塚本と一緒にアスキーを去った。
アスキーを去った後、塚本と共同出資しインプレスを設立する。1999年よりインプレスホールディングス監査役となったが、2013年に退任している。