郭家荘墓
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1990年、殷墟の郭家荘の西で殷代の中型墓が発掘された。長方形の竪穴土坑墓で、墓の方向は105度、つまり東西方向からやや南に振っていた。地表から2.3mの深さに墓口があり、墓室は長さ4.5m、幅約2.9m、地表から墓底までの深さは8m。一棺一槨を備え、墓底の中央には腰坑が設けられていた。槨室の規模は、長さ3.26m、幅1.52m、高さは0.88mあった[1]。
被葬者は頭を東にしていたが、その遺体はすでに朽ちていた。墓内では殉葬者が4人、犠牲の犬が3頭確認され、それぞれ二層台[注釈 1]、棺と槨のあいだ、腰坑に埋められていた[1]。
郭家荘墓から出土した青銅器は、礼器・楽器・生産用具・武器など、あわせて288点に達する。このうち礼器は40点を数え、方尊・方斝・方觚・方鼎など16点には、器表に文様と銘文(氏族標識)が見られた。酒器は觚が10点、角が10点出土したが爵は1点も見られなかった[1]。また取手つきの四足鼎1点、方形の器1点は従来未発見の新器形であった。取手つきの四足鼎の中で見つかった肉料理は、完全に腐食しきってはいなかった[2]。
方尊の腹部四隅には、丸い目をして、長い鼻を上に向かって巻き上げている象の頭が1つずつ付いていた。同様に方尊の腹部四辺、つまりそれぞれの象の頭のあいだに獣頭が1つずつ配されていた。獣頭の頂部からは、まるで手のひらを開いたように先端が5本に枝分かれした角が一対、上に向かって延びていた[2]。
青銅製の武器は、戈・矛・鉞・大刀など220点で、さらに900個以上の鏃が幾山か堆積していた。被葬者はかなり高位の武官であったと推測される[2]。
郭家荘墓の年代は、出土遺物から判断すれば、殷墟文化第3期に相当すると考えられる[2]。
なお、郭家荘墓の西南約30mのところで、1989年に2基の車馬坑が発見されている。出土した銅戈・銅鏃の形状は、郭家荘墓の出土物と酷似しており、車馬坑自体の年代も第3期に属する。おそらくは郭家荘墓の陪葬坑であろう[2]。
脚注
参考文献
- 黄石林、朱乃誠『中国文化史ライブラリー 中国考古の重要発見』高木智見訳、日本エディタースクール出版部、2003年。ISBN 4-88888-330-0。