以上を記した『漢書』に、郭広意の姓名が記されるのは免職の所しかない。王孺とのやりとりの件では、姓を欠いた広意の名で書かれている。それを郭広意と推定するのは、執金吾という同じ官職に同じ年についていたためである。
姓不明の広意は『漢書』の別の箇所にも見える。前には景帝後2年(紀元前141年)に執金吾の前身である中尉になった広意[3]。後には宣帝の元康2年(紀元前64年)に執金吾になった広意である[4]。それぞれ後元2年の54年前、23年後だが、前者を郭広意にあてる学者もいる[5]。
前漢には別に斥丘侯の唐広意[6]、禾成侯の公孫広意[7]がいて、珍しい名ではなかったようである。