郭泉

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郭泉(かく せん、1875年—1966年4月13日[1])、字は鳳輝は、イギリス領香港の実業家で、永安百貨中国語版創業者の一人。

郭泉

生涯

郭泉は1875年、広東省香山県に生まれた。1898年に「永安果欄」を創設した次兄の郭楽中国語版を頼りオーストラリアへ渡る。1904年、1,000ポンドをもってフィジーに「安泰公司」を開設し、百貨店を営むとともに、農地を開墾して「永安果欄」に供給した。

1907年8月28日、郭はイギリス領香港において16万香港ドルの資本で中環・皇后大道中167号、先施百貨中国語版の斜向かいに永安百貨を創設した。その後、永安百貨は1917年に上海に支店を開設したが、その店址もまた先施百貨の近隣であった。永安百貨が成功を収めた後、郭兄弟の永安公司は香港および上海の事業を不動産、銀行、紡績、水火保険、生命保険などの分野に拡張した。

郭泉は香港において保良局中国語版および東華医院中国語版の総理を務めた。1936年11月、郭は制憲国民大会香港区僑胞代表の初選において得票上位三名に入り、復選候補者となり[2]、1937年7月21日に複選で勝利し[3]中華民国政府により香港区僑胞代表に委任された。太平洋戦争中、香港の日本軍政期において、郭は周寿臣中国語版を首班とする華民各界協議会の委員に委任された。これをもって当時、郭は「附逆」であると指摘された。香港重光後、香港鮮魚行総会主席の楊蕚輝らは電報をもって国民政府主席蔣介石に真相の調査を請い、香港区僑民代表郭泉の国大代表資格の回復を求めた。1946年、郭泉は指名手配を撤回され、国民大会香港僑民代表資格を回復した[4]

脚注

関連項目

外部リンク

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