郭鎮 From Wikipedia, the free encyclopedia 郭 鎮[1](かく ちん、生年不詳 - 129年)は、後漢の官僚。字は桓鍾。本貫は潁川郡陽翟県。 郭躬の弟の子にあたる。若くして家業である小杜律の学問を修めた。太尉府に召し出され、2回転任して、延光年間に尚書となった。125年(延光4年)11月、中黄門の孫程が中常侍の江京らを殺害して済陰王劉保(順帝)を擁立すると、郭鎮は羽林の士を率いて衛尉の閻景を撃殺した[2]。2回転任して尚書令となった。郭鎮の功績は前漢の朱虚侯劉章に匹敵すると論じられて、定潁侯に封じられた。河南尹に任じられ、廷尉に転じ、免官された。129年(永建4年)、家で死去した。順帝により昭武侯と諡された。 子女 郭賀(長男として爵位を嗣ぐべきであったが、末弟とともに逃亡した。数年後、大鴻臚の命により州郡の追求を受け、やむなく出頭して封を受けた。官を歴任して廷尉に上った。死後に成侯と諡された) 郭禎(法律に詳しく、やはり廷尉に上った) 脚注 ↑ 『東観漢記』巻18では郭願とする。余嘉錫『四庫提要弁証』巻5では郭願は郭鎮の誤りとする。 ↑ 『後漢書』宦者伝では、郭鎮は剣で閻景を車から叩き落とし、捕らえて廷尉の獄に送った。閻景はその夜に死んだとされる。 伝記資料 『後漢書』巻46 列伝第36 Related Articles