鄭蘭貞
李氏朝鮮時代の政治史上の人物。尹元衡の継室。
From Wikipedia, the free encyclopedia
生涯
幼い頃に家を出て妓生となったが、後に尹元衡と出会いその側女となった。尹元衡には正妻 (朝廷の実力者であった金安老の姪) がいたが、この正妻は尹家より追い出され、朝鮮王朝実録によると、後に鄭蘭貞によって毒殺されたと記されている[1]。
文定王后と親密な関係にあった鄭蘭貞は、その弟である夫を支えた。尹元衡は財産を増やして巨万の富を築いたほか、朝廷において出世し、領議政の地位にまで登りつめた。妻である鄭蘭貞も、尹元衡が吏曹判書に就任した時には貞夫人(チョンブイン、ていふじん)に、そして明宗8年 (1553年) には外命婦最高の地位である正一品貞敬夫人(チョンギョンブイン、ていけいふじん)に命ぜられた[1]。しかし文定王后の死後は後ろ盾を失い貞敬夫人の地位を失ったほか、前妻殺害の罪に問われることとなり、義禁府に連行される前に服毒自殺を図った。この際、尹家の10人の使用人が取調べを受けた末、全員が拷問によって死亡したが、ひとりとして鄭蘭貞が毒殺犯だと認めなかったという[1]。夫尹元衡も官職を失い流刑に処せられた後に自殺して鄭蘭貞の後を追った。