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配志和神社

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配志和神社(はいしわじんじゃ)は、岩手県一関市山目字館に鎮座する神社である。蘭梅山(らんばいさん)の中腹に鎮座し、一関市街地を見下ろす高台に位置する。境内へは長い石段参道が続き、杉の巨木群に囲まれた社叢を有する。一関地方において数少ない式内社の一つであり、古代から中世にかけての磐井郡地方の信仰を考える上で重要な神社[1] [2]である。

所在地 山目字館56
位置 北緯38度56分34.9秒 東経141度07分22.6秒
概要 配志和神社, 所在地 ...
配志和神社
配志和神社
所在地 山目字館56
位置 北緯38度56分34.9秒 東経141度07分22.6秒
主祭神 高皇産霊尊
瓊瓊杵尊
木花開耶姫命
社格式内社、旧県社
創建 景行天皇40年(110年
地図
配志和神社の位置(岩手県内)
配志和神社
配志和神社
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延喜式神名帳に記載される陸奥国磐井郡の式内社に比定される古社であり、近代社格制度では県社に列した。

祭神は高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)[3]である。

また、火石輪(ほしわ)という古い社名伝承や磐座山との関係は、神社成立以前の自然崇拝磐座信仰の痕跡を残す可能性があり、北上川流域南部の古代信仰を考察する上でも注目されている。

概要

古代 社伝によれば、景行天皇の時代、日本武尊が東征の際に当地へ進軍し、磐座山の頂上に三神を祀って東奥鎮護を祈願したことに始まるという。この神祠は当初「火石輪(ほしわ)」と称され、後に「配志和」へ転じたと伝えられる。

日本文徳天皇実録仁寿2年(852年)条には、配志和神社へ神階が授けられた記事が見られ、少なくとも平安時代前期には朝廷から認識された神社であったことが確認できる。さらに『延喜式神名帳』(927年成立)には陸奥国磐井郡の式内社として記載されている。

伝承では、当初は磐座山(いわざやま)に鎮座していたが、延喜年間(901〜923年)に現在地へ遷座し、延長 (元号)5年(927年)頃に現在の「配志和神社」の社名となったとされる。磐座山には二基の石碑が残っている[4]

中世・近世 応仁年間(1467〜1469年)の戦乱で社殿が焼失し、その後は「蘭梅明神」あるいは「梅宮」と称された時期があったとされる。これは蘭梅山の伝承と関係する。蘭梅山には、菅原道真の子と伝わる菅原敦茂が父の育てた蘭と梅を植えたという伝説が残されている。現在の社名よりも「蘭梅山」の地名の方が地域では古くから知られていた。

江戸時代に入り、古記録との照合から当地の神社が式内社・配志和神社に比定されるようになった。慶長年間には再興が進められ、近代には郷社を経て県社となった。

信仰

配志和神社は古くから西磐井地方の総鎮守として崇敬を受けたとされる。祭神の中心である高皇産霊尊は生成・結びの神格を持つため、現在では特に安産・子育ての神として信仰されている。

また、式年大祭[5]で行われる「御室焼き(おむろやき)」は出産儀礼を神話的に再現した特殊神事として知られ、日本国内でも古い形態を残す例とされる。

社殿・境内

現在の社殿は江戸時代の建築様式を残す。拝殿と本殿を幣殿で接続した複合社殿であり、一関地方の神社建築を代表するものの一つとされる。

境内には、

  • 愛宕神社
  • 神明社
  • 八幡神社
  • 天神社
  • 八雲神社
  • 荒神社

などの境内社が祀られている[6]

また、参道脇には樹齢数百年以上とされる杉の巨木群があり、特に「夫婦杉」は一関市指定天然記念物となっている。樹高約42mに達し、市内有数の巨樹として知られる。

ギャラリー

外部リンク

脚注

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