酒井忠弘
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旧姫路藩主酒井忠績の長男として生まれる[1][3][4]。1889年(明治22年)5月、忠弘に改名[3]。父の死去に伴い、1895年(明治28年)11月22日、男爵を襲爵した[1][5]。
1897年(明治30年)7月10日、貴族院男爵議員に選出[6][7]。1898年の万朝報に神楽坂の芸妓(当時16)を落籍したと報道されるなど素行面での評判は悪かった。1901年(明治34年)7月19日、華族の礼遇が停止され[8]、同年7月24日に貴族院議員を辞職した[2][9]。1920年(大正9年)6月15日、背任罪の確定判決により華族令21条による男爵を失爵、正五位を失位した[10][11]。報道によれば日光東照宮に出仕していた田沼正(当時36)と酒井忠弘(同52)ほか5名が数年に渡り拝観料及び賽銭の一部を横領し酒色に費していたとして検挙、裁判で有罪が確定したためであるという[12]。