酒生文弥
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酒生 文弥(さこう ふみや、1956年〈昭和31年〉9月8日 - 福井市出身)は、日本の僧侶・思想家、エッセイスト、講演者、著作者、世界平和活動家。松下政経塾1期生、勝兵塾講師特待生。浄土真宗本願寺派僧侶(最高位・顕座)、NPO免疫療法懇談会理事長、在日本ルーマニア商工会議所会頭、酒生倶楽部会長、アジア仏教クラブ座長。内外の政界・宗教界・実業界・文化人と幅広い縁を結び「人類の霊性の統合」による世界平和を追求し、仏陀AIが統御する地上浄土としてのAIR(AI IoT Robot)文明を創造することを使命とする。「横死(殺される死)」を最小限に抑える世界を実現していくことに貢献できることを念じている。
福井市東郊の浄土真宗本願寺派酒生精舎浄福寺に長子として生まれる。同寺は753年(天平勝宝5年)創建の東大寺(華厳宗)末寺である国分寺に由来し、酒生(さこう)は「左近」から転じた姓で、継体天皇左大臣職の末裔に因む一族である。
酒生幼稚園・酒生小学校・足羽第一中学校・藤島高校を経て、1980年(昭和55年)早稲田大学政治経済学部を卒業。
中高は地球科学部、大学では空手道誠心会および英語会(ESS)に所属。
卒業時に創設された(財)松下政経塾に第一期生として入塾。松下幸之助に師事する。同期に野田佳彦(早大より)元総理・逢沢一郎衆議院議員・鈴木康友静岡県知事らがいる。
1982年(昭和57年)1月11日、京都大学法学部生で同大美術部長、「ビッグコミックスピリッツ」連載マンガ家であった弟信弥(のぶや、高坂正堯ゼミで山田宏参議院議員と同窓・親友)が自死を遂げる。経緯にある塾職員の心ない言葉が関わっていたことを知り、塾を去ることを決意する。
政経塾2年の研修を終えて依願退塾し、龍谷大学大学院に転じて、初めて真剣に仏教と比較宗教を学ぶ。
同年11月、皇太子ご夫妻(現在の上皇・上皇后、平成天皇ご夫妻)の成婚記念事業第24回青年海外派遣事業(総理府)の渉外団員としてサウジアラビアに派遣されサウジ政府とのやり取りを一手に引き受ける。現地ではイスラムを直接学ぶ。
帰国後、皇太子ご夫妻との報告懇親会に参加。同年夏より、熊谷太三郎参議院議員を介して自民党初の総裁予備選挙に出馬していた中川一郎衆議院議員と結縁。同議員に認められ、衆議院出馬を勧められ承諾するも、翌1983年(昭和58年)1月9日中川議員急逝。これを契機に政界とは距離を置くことを決意。
文部省奨学生として1984年(昭和59年)カリフォルニア大学大学院(サンタバーバラ校)、国際ロータリー財団奨学生として1986年(昭和61年)ニュージャージー州立ラトガース大学大学院へ留学。宗教学、政治と宗教を研究する。
1987年(昭和62年)龍谷大学大学院博士課程単位満了依願退科。独自の「宗教の統一理解理論」を完成させる。
龍谷大学非常勤講師(平和学)となる。
この間、学資と生計は代々木ゼミナール英語講師として賄った。
1989年(平成元年)4月27日松下幸之助(光雲院釈真幸)往生の直後、厳正寺(大田区)の長女と見合い。11月結婚、乞われて同寺副住職として入婿、北條姓となる。武蔵野女子大学人間関係学部(世界文化史)・中央大学総合政策学部(比較宗教学)で教鞭を取りつつ同寺での仏事に務める。
北條家の差別的な権威主義に馴染めず、2003年(平成15年)に協議離婚。同年ルーマニア人と再婚。同年より特定非営利法人免疫療法懇談会理事長に就任、今日に至る。
ルーマニア政府の要請を受けて、2016年(平成28年)5月14日在日本ルーマニア商工会議所(RoCCIJa)を創設、会頭に就任、今日に至る。2015年(平成27年)4月より2020年(令和2年)3月まで新潟県上越市の真照寺住職を務める。
2003年(平成15年)より、インターネット内に創建した光寿院([1])住職を継続して務め、2025年6月、光寿院(Luminous Lives)を文化庁認定宗教法人に申請中。
2024年3月30日、ペマ・ギャルポ桐蔭大学名誉教授の勧めでアジア仏教クラブ座長に就任し、ダライ・ラマ法王の正統性を護りながら、東アジアを仏教で再び連携させる活動を行っている。同時に、水谷永観師の任命により世界連邦日本委員会仏教評議会常任理事に就任。