重友毅
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- 出生から修学期
1899年、山口県吉敷郡山口町で生まれた[1]。1917年に早稲田大学部学部予科に入学するも、同年7月に中退し[1]、第一高等学校に入学[1]。1920年に同校を卒業後[1]、東京帝国大学文学部国文科に進学。1924年に卒業[1]。
- 国文学研究者として
同1924年、旅順工科大学予科教授に就いた[1]。1933年、東京体育専門学校教授に転じた(1941年まで)[3]。1938年より武蔵高等学校教授も兼ねた[3]。
1949年に武蔵大学教授となり、法政大学教授を兼任[4]。1952年、学位論文『雨月物語の研究』を東京大学に提出して文学博士の学位を取得[5][4]。1956年に武蔵大学を辞任し[4]、法政大学および同大学大学院教授のみとなった[4]。1958年から1960年まで、法政大学文学部長を務めた[6]。1966年に法政大学を定年退職し[6]、1967年からは広島女学院大学教授として教鞭を執った[6]。
1978年に死去。