野口富蔵
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会津藩士野口成義の三男として、現在の福島県会津若松市天寧寺町に生まれる。母楽は同じく会津藩士日向氏の出身。
19歳の時、藩を出て函館の英国領事館へ赴き、英国領事ヴァイスに英語を学ぶ。1866年(慶応2年)、駐日イギリス公使館書記官アーネスト・サトウに秘書兼用心棒として雇用され、以降国内を移動する際は常に一緒におり、道中襲撃された際には拳銃と太刀で応戦し撃退したという。
1869年(明治2年)、サトウに随いイギリスに渡り、彼の援助を受けロンドンの大学にて学ぶ。同年視察でロンドンを訪れた西郷従道らは、既に日本人留学生がいることに驚き、西郷の計らいでのちに国費留学生となる。1871年(明治4年)に岩倉使節団がロンドンを訪れた際には通訳を立派に務め、その俊才を認められる。1875年(明治8年)に帰国。この年に妻くらと結婚したとされる。
その後、内務省、陸軍省、工部省を経て京都府に出張し西陣織の改良に尽力する。兵庫県庁にも出仕するが、激務がたたり1883年(明治16年)に42歳で急逝。墓所は神戸追谷墓園。