野津龍三郎
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1892年(明治25年)2月5日、滋賀県彦根市近郊の士族野津家に生まれる[1]。彦根第一中学校、1913年(大正2年)7月第三高等学校第二部乙類を卒業し[2]、1916年(大正5年)京都帝国大学理科大学を卒業する[3]。卒業後神戸の鈴木商店(現双日のルーツの一つ)に入社し化学研究所に勤務、1921年(大正10年)1月大日本木管(紡績用木管類を生産)に転職した後、同年12月京都帝国大学理学部小松茂教授の下で講師になる[1]。大学では久原躬弦教授に指導を受け「アミノメチルフェニカルビノールのベンゾイルエスチルの合成」卒業研究を行った[1]。
1923年(大正12年)助教授に昇任、有機化学研究のため1925年(大正14年)アメリカ・イギリス・ドイツ・フランスへ留学し、翌年4月17日理学博士の学位を授ける[4]と共に教授に就任し、化学第三講座(有機化学)を担当した[1]。英国ではオックスフォード大学のロビンソン教授(1947年ノーベル化学賞授賞)に、ドイツではフライブルク大学シュタウディンガー教授(1953年ノーベル化学賞授賞)に指導を受けた。1946年(昭和21年)京都大学化学研究所第5代所長に就任(1948年(昭和23年)退任)し[5]、退官後1955年(昭和30年)3月9日京都大学名誉教授となった。その間、理学部長[6]、日本学術会議会員、日本化学会長等の要職を歴任し、退官後も甲南大学教授に招かれて文理学部長(後に理学部長)となり、日本放射線高分子研究会大阪研究所長を兼務したが、1957年(昭和32年)10月27日65歳で胃癌により急逝した[1]。
エピソード
- 口癖[1]
- 「有機化学から合成を除けば、それは有機化学ではない。有機化学の生命は合成にある」