金井延
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静岡県出身。東京帝国大学を卒業した後、ドイツへ留学し、グスタフ・フォン・シュモラー、アドルフ・ワグナーらに師事。帰国後は社会政策学会に参加しその中心メンバーになるとともに、東京帝国大学にて、法科大学教授[1]。同大学で1919年に経済学部が新設されると、初代学部長。1925年まで教授を務めた。ドイツにて修得した経済学、社会政策の立場に基づき、帰国後社会政策学会に参加して中心メンバーとなり、自由主義経済への批判や、国家による労働者の保護および金銀複本位制度などの提唱を行った。
日露戦争に先立つ1903年6月、戸水寛人、富井政章、寺尾亨、高橋作衛、小野塚喜平次、中村進午らと共に開戦論を主張する意見書(七博士意見書)を提出し、世論を開戦の方向へと位置付けた。また、日露講和条約にも反対の主張を行うなどしている。
家族
栄典
著作
単著
校閲
- 佐々木多門『経済学派比較評論』六盟館、1907年10月。 NCID BN15688857。全国書誌番号:40031857。
筆記
- アーネスト・フェノロサ『フェノロサの社会学講義』秋山ひさ編・解説、神戸女学院大学研究所、1982年3月。 NCID BN07059550。
