金光一
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経歴
エピソード
1970年代・1980年代の釜山で人権派弁護士として活動し、盧武鉉・文在寅らの先輩である。釜林事件・釜山アメリカ文化院放火事件でともに活躍したほか、盧武鉉の政界入門にも多くの協力をした[5][6]。
1988年の第13代総選挙の前に金泳三統一民主党総裁に抜擢され政界に入り、第13代国会の光州・5共聴聞会で盧武鉉とともに活躍し、聴聞会のスターとして頭角を現した[4][5]。
「YSマン」と呼ばれるほどの金泳三の側近だったが、1990年の3党合同に反対し民自党への合流を拒否した。1992年の第14代大統領選挙の時は鄭周永が率いる国民党に入党し、金泳三と疎遠になった。しかし、その後は鄭とも決別して政界を一旦引退し、金泳三政権発足後の1994年に国民苦情処理委員長に抜擢され、金泳三の信任を再び得た。金泳三政権下の1995年に青瓦台秘書室長、1997年ごろに大統領政治担当特補も務めた[4]。
2002年にハンナラ党に入党し、同年の大統領選挙候補だった盧武鉉に反対し、李会昌を支持する立場をとり、「盧武鉉が大統領になってはならない10の理由」という声明まで出した。ただ、盧武鉉弾劾訴追の時は全体的に訴追事由が弱いという印象があると述べた[5]。