金光一

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金 光一(キム・グァンイル、朝鮮語: 김광일1939年9月11日 - 2010年5月24日)は、大韓民国裁判官弁護士政治家民主化活動家。第13代韓国国会議員、国民苦情処理委員会朝鮮語版委員長、大統領秘書室長朝鮮語版を歴任した[1]

本貫金寧金氏朝鮮語版キリスト教徒[1]

経歴

日本統治時代の慶尚南道陜川郡陜川邑出身[2]。慶南高等学校、ソウル大学校法科大学法学科卒。同司法大学院修了。第15回高等考試司法科合格。軍法務官大邱地方法院朝鮮語版判事、弁護士、アムネスティ釜山支部長、民憲研指導委員、民推協常任委員、釜民協理事、統一民主党企調室長、国会法司委幹事・建設委員、民主党政策議長、初代国民苦情処理委員会朝鮮語版委員長を経て、金泳三政権(文民政府)では第19代大統領秘書室長朝鮮語版大統領政治担当特別補佐役を務めた[1][3]金大中政権発足後は民主国民党最高委員を務めたが、主には釜山地域で弁護士として活動した[4]

2010年5月24日、持病により死去。享年71[4]

エピソード

1970年代・1980年代の釜山で人権派弁護士として活動し、盧武鉉文在寅らの先輩である。釜林事件釜山アメリカ文化院放火事件でともに活躍したほか、盧武鉉の政界入門にも多くの協力をした[5][6]

1988年の第13代総選挙の前に金泳三統一民主党総裁に抜擢され政界に入り、第13代国会の光州5共聴聞会で盧武鉉とともに活躍し、聴聞会のスターとして頭角を現した[4][5]

「YSマン」と呼ばれるほどの金泳三の側近だったが、1990年の3党合同に反対し民自党への合流を拒否した。1992年の第14代大統領選挙の時は鄭周永が率いる国民党に入党し、金泳三と疎遠になった。しかし、その後は鄭とも決別して政界を一旦引退し、金泳三政権発足後の1994年に国民苦情処理委員長に抜擢され、金泳三の信任を再び得た。金泳三政権下の1995年に青瓦台秘書室長、1997年ごろに大統領政治担当特補も務めた[4]

2002年にハンナラ党に入党し、同年の大統領選挙候補だった盧武鉉に反対し、李会昌を支持する立場をとり、「盧武鉉が大統領になってはならない10の理由」という声明まで出した。ただ、盧武鉉弾劾訴追の時は全体的に訴追事由が弱いという印象があると述べた[5]

脚注

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