金光明経
4世紀頃に成立したと見られる仏教仏典
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内容
漢訳
日本への伝来
主な行事
『金光明経(金光明最勝王経)』に基づく主な行事として次のようなものがある。
- 最勝会(さいしょうえ)
- 薬師寺で『金光明最勝王経』を講ずる法会で、毎年3月7日から13日の7日間行われた。維摩会、御斎会と共に南京三会(なんきょうさんえ)と称される。1072年(延久4年)からは山城国の円宗寺でも行われ、こちらは北宗三会(円宗寺法華会・法勝寺大乗会)のひとつとされ、毎年5月19日から5日間行われた。
- 最勝講(さいしょうこう)
- 平安時代に宮中(清涼殿)で行われた『金光明最勝王経』の講会で、毎年5月天下泰平、国家安穏を祈って『金光明最勝王経』10巻を1日2巻ずつ5日間にわたって講じられた。この講会を主宰する僧侶は、南都(奈良)の東大寺と興福寺、北嶺(京都・滋賀)の延暦寺と園城寺の中から選任された。
- 御最勝講(みさいしょうこう)
- 高野山金剛峯寺の年中行事。元々宮中にて行われていた。高野山では承安3年(1177年)に始まった。最初はやはり『金光明最勝王経』を講讃していたが、文永11年(1274年)以降、問答論議に変更され江戸末期までは5日間10座の講席を勤仕されている。現在では2日4座になり、現在でも厳重に執行されている。弘法大師真筆と伝えられる『金光明最勝王経』を講讃し、鎮護国家を祈る法会で、「左右学頭(がくとう)」はこの御最勝講を無事に勤めると「上綱」と呼ばれる階位に登る。古くには宮中より勅使が参列されたりと、非常に厳重な法会である。
- 放生会(ほうじょうえ)